ココロノフシギ

10代の終わりの数年間、消し去りたくても忘れられない数々の苦い記憶が、次元装置のように突然、あるいはトリガーに触れた瞬間、生々しい心象を脳裏に呼び起こされる。そのような時、両手で頭をかきむしりたくなるのだが、実際にそんなことはしない。口角の一方を上げてしかめっ面になるだけだ。苦虫を噛む表情といえばいいのだろうか。

はじめの頃はそれで考え込んでしまったり落ち込んだりもした。取り返しのつかないことをアレコレと考えるのはあらゆる点でムダなのだけれど、それでも考えないわけにはいかなかった。もしかしたらそうした御祓のような行動がこれらの記憶を消し去ってくれることを期待していたのかもしれない。

現在に至って、未だに忌々しい記憶に悩まされているのだから救いがない。何年も繰り返し再生産されるうちに、これはある種の発作なのだろうと考えるようになった。大きく息を吸い込み、ゆっくりとそれを吐き出す時に、同時に肚の中に溜まった黒煙のようなものを吐き出して払うようにすると幾分気持ちが楽になった。

ところがどうゆうわけか最近になって、頻度が増したような気がするのだ。完全に消し去ることは不可能でも、次第に減っていくものだろうと思っていたので、ちょっとアテが外れてしまった。どうやら僕は敵を過小評価する傾向にあるんだろう。

おそらくこれは宗教の領分なのだろう。魂の救済とか主の赦しとかの類いではなかろうか。心療内科に行けば、もしかしたら病名がつくかもしれない。

だけど僕は誰にも赦されたくないし診られたくない。それはとても個人的なことだし、全ては僕が招いた業だから。なによりこれはとっくに過ぎ去った過去の話なのだから。

一つの仮説が浮かんだ。僕は僕の幸せを許せないのではないか。これまでに犯した事を忘れたのか、どれだけの人を悲しませたのか忘れたのか、そんなお前が幸せになるなど許されるはずがないだろう、俺はどこまでも追いかけて邪魔してやる、と憤っているのではないか。

信じられないかもしれないが、僕は幸せになりたいと思った事がなかった。自分の基に幸せが訪れるということが理解できなかった。ところが数年前、ふとした瞬間に気づいたのだった。僕も幸せになっていいんだ、と。