若い人のアイデアに触れてみたい。

2001年にベンチャー起業プランというのを作ったことがある。

僕が考案したのは、一人暮らしの学生に向けた朝食のデリバリー事業だった。ターゲットは学生の親で、せめて朝食はしっかり食べて欲しいという親の心理を狙ったものだった。年間契約で平日のみ。

マンション管理者と提携し、各部屋にポストを設置させてもらい、当該マンションに住む学生一人が1食注文するごとに50円バックをする仕組みを考えた。

あれから約20年。

このプランはまだ可能性があるのだろうか。

まず、今回このことを書くきっかけになったのは、この年のプラン全体に共通する感覚として「デリバリー」があったからだ。平たく言えば売れるところに商品を持って行って売る発想だ。優秀賞の受賞者のプランも移動式のクラブバーだった。事業形態は違えど「デリバリー」を強みと位置付けていたのだ。

近年、このデリバリーが主流となりつつあるように感じている。20年前と大きく違うのはアプリの存在だろう。それまでもデリバリーのサービス自体は存在したが、その方法は主に電話だった。ピザの配達やタクシーの配車など、いちいち電話で住所と名前を伝えなければならなかった。ヤフーオークションはインターネット上で交渉できたが決済は銀行振込のみで現在のようなクレジット決済ができなかったため時間もかかったし手間も要した。

つまり現在のインターネット環境がデリバリーの利便性を大きく向上させ、ユーザーは20年前に比べてラクに各サービスを利用できるようになった。

同時にデリバリーサービスは分業化しつつある。Ubertaxiはタクシー会社とマッチングアプリの連携だし、UberEatsは配達と製造すら分けている。

このように20年前とは大きく環境が変わり、それによって新たなビジネスモデルが生まれている。zozotownやフリマの躍進もテクノロジーの進化の寄与するところが大きく、最大の貢献は消費者のアプリサービスによる消費への抵抗感を取り払ったことだろう。

ただ僕は自分のアイデアを先見の明があったとは思わない。デリバリーがより拡大する事を良いとも思わない。おそらくまだしばらくは拡大するだろうし、それによって今よりさらに便利になるだろうけど。

むしろもうあまり面白くない。だって発想自体は20年前のもの。

今に立って、20年後に定着するサービスとは何だろうか。

若い人のアイデアに触れてみたい。

ちょっと考えてみる。

…………………。

無理でした。でも思い出した。

2002年に僕は友達に未来について話していた。

これから先、日本はルネッサンス期のように芸術が花開くんじゃないかと考えていた。そしてそれはまだ実現していない。

少し前、フォトジェニックが流行り、一億総アーティスト時代と僕は思った。でもそれはすごく迎合的だし平凡で暴力的だと思った。

今は一億総ネットワーカー時代。フリマで売って梱包作業をしたりバイトで配達員になったりする一方でユーチューバーだけでなくインスタやツイッターでみんなが情報を発信して人やモノ・サービスを発信する時代。

監視社会とまでは言わないけど他者の評価が価値を決めることに気味悪さを覚える。

宇多田ヒカルが自身のインスタで道に落ちてるものだけを上げているのをテレビで聞いたことがある。僕はその使い方に大いに共感する。

やはり非凡だなと思うと同時に、そんなインスタは見たいと思わない。