それはたぶんもう戻らない
障害者施設での殺傷事件は史上稀に見る凶悪な事件だった。
生命の価値を身勝手に評価し、障害者は存在そのものが有害だと決めつけ、そして自ら施設に忍び込み、その手で多くの障害者を葬った。
人の命を身勝手に奪った犯人に共感など一切できない。
にも関わらず、このリアルな社会にはこのような思想が生まれ育つ土壌があって、無自覚に或いは確信しつつ、程度の差こそあれ、恣意的に生命の価値を評価する仕組みの中で、一線を越えてしまっている人が一定数存在する。
僕は全ての命を等しいと思う社会が正解だとは思わない。
自分の命よりも大切な命は子どもたち以外にはありえないし、生きるためには多くの生命を摂らなければいけない。だからそうゆうヴィーガン的な思想とはかけ離れているけれど、同時に自分のために他者が犠牲になっても一向に構わないと考えているわけでもない。
わりと一般的なんじゃないかと思う。
ただここには明確な矛盾がある。
人の痛みがわかる人になりなさいと教わるけれど、絶望的に他者の痛みに鈍いのが人間だろう。じゃないと社会はこんな風になってない。一定の振り幅の範疇で許容しつつ社会は営まれている。その振り幅を越える人がいて、それを全て当人の責任と問えるだろうか。
冒頭の事件は振り幅を圧倒的に越えている。社会の責任を割り引いても当人の異常性は明らかで、繰り返しになるが擁護の余地はない。
けれど同時にゆるやかに越える振り幅のずっと延長した先にあるのは間違いない。
スキャンダルを面白がる人と差別的な言動で他者をおとしめ嘲る行為は何が違うのか。マスクを買い占める行為と行列に割り込む行為と条例のない路上での喫煙行為は振り幅の範疇だろうか。
強くならなければならない。
弱さゆえの規律はもはや失われた。それはたぶんもう戻らない。
科学は善にも悪にもなる。
家づくり戦記 ーはじめに ―
19年11月15日、新しい家に引っ越した。
家作りを始めたのが17年の夏だから2年半を要したことになる。
ちなみにまだ完成には至っていない。
早くして欲しいんだけど。
今に至っては建設会社にウンザリしている。
まぁそれでも、これといった大きな後悔もなく完成にたどり着きそうなので、そのことは率直に感謝しているし、ホッとしている。
改めて家作りがどんな流れで進んだのか、色々と困難もあったので、記憶の新しいうちにできるだけ記録しておこうと思う。何の役に立つかは解らないけれど。
ウォルナッツがクルミって知ってましたか?
ヘーゼルナッツラテがよく売れる。
そりゃ確かに美味しいですよ。
でも頼む時は美味しいってより美味しそうって思うんですよね。
ヘーゼルナッツラテ、、、甘美な響きです。
ただもう少し分散させたいというか、同等の魅力を備えたドリンクがあるんですよ。そっちも知って欲しいし楽しんでもらえたらと思うのです。
そいつの名はココナッツラテ&アーモンドラテ。
どうですか?弱いでしょう??
なんでしょうかね、この「あぁ~はいはい。」な感じ。
おそらくココナッツには甘ったるい印象が、
アーモンドには香ばしくてチョコに合うよねー。な印象があるでしょう。
全然違いますよ!?そんなんじゃないですよ!!
むしろココナッツ好きやアーモンド好きは満足しない味です。
あれ、いや、ごめんなさい上手く説明できないです。
と、とにかく、どうにか彼らにスポットを当ててあげたいです。
それもヘーゼルナッツラテと同じ客層で。
そりゃ色々トッピングして「トフィーナッツラテ」とか「フロランタンラテ」とかすれば魅力的に映るかもしれません。売れるかもしれません。でもそこは少し客層が違うんですよ。なんかスペシャル感と言いますか、季節限定な感じと言いますか、色々入ってます感があるでしょう?おそらく求められてるものが違ってくるんですよね。期待を裏切ることはできないのでもはや別物の商品にならざるをえないです。
そうじゃなく、あくまで王道。シンプルにして定番。
分かりやすくかつ先入観を取り除くには、、、どうしたらいいんですかね?
次のメニュー表更新までに答えが出るといいんだけど。
でわまた。
マイペースは悪口でしょうか?
休日、ずっと家にいるとついつい食べてしまいます。
働いてる日は食べたいとさえ思わないのに、不思議ですね。
僕は今みたいなペースで働いてるのが性に合ってるみたい。
「遊んで暮らす」って、お金持ちが仕事しないイメージでいたから気づかなかったけど、勘違いしてました。僕はお金持ちじゃないけど、好きなことを仕事にして楽しく過ごしてるんだから「遊んで暮らしてる」のかも。
そうゆう人って世の中にけっこう多いんじゃないかな。
雪月花を眺めて生きてゆきます。
ハワイで自生する植物は外敵がいないから毒やトゲがないそうです。今、外来種が上陸してボコボコにされています。僕がストレスに弱いのはそれと同じなんじゃないかと思う。
ストレスを感じると凄く疲れてしまって、肩が凝ってお腹が痛くなります。
軽く熱が出ることもある。寿命が削られていく実感を覚えます。
子どもがハイハイレースに出る時もドキドキしてお腹が痛くなった。もはや命懸けのレースです。
電車に乗ってから小銭や千円札がなくて慌ててる人を見るだけでそわそわしてしまう。
テレビの取材や街角ロケなんて論外。数日は体調が悪くなります。
このように、とても生きにくいことになってしまっている。
以前はさすがにここまでじゃなかった。授業中に手を挙げるのも平気だったしトイレにだって行けた。女子と話す時はお腹が痛かったけどそれも克服できた。
仮にストレスなく生きていられる環境が僕を弱くしていたとしても、僕はこのぬくぬくした環境を手放すつもりはない。雪月花を眺めて生きてゆきます。
こんな僕でも生きていける世界に感謝です。あざす。
努力の甲斐はあるのかい?
上の子が2歳になります。
段々しゃべりやがります。
段々言葉が通じやがります。
なるべく邪魔してたのに。
おいしいって言いだしたからボーノって言うようにしました。
バイバイと手を振るようになったんで敬礼で見送るようにしました。
でもどんどん育っちゃう。
もちろん喜びでもあるんですけどね、喋れない日々はもう帰ってこない日々なんですよ。失われてしまう。それが切なくて。。。
生まれてからずっとこの切なさを感じていて、日々を大切に心に刻んでいるんです。思い出貯金を切り崩して生きていくんです。ウザいとか言われてもギリ耐えます。
下の子は生後2か月半。まだもう少し面白くないお年頃です。そんな下の子と上の子が手のひらを合わせた時があって、かなり大きいんですね、2歳児の手。
単体で見たら思わないけどちょっとザラっとしてるんですよ。それ見た時に、あぁもう終わっちゃうんだなぁと。どんなに頑張ってもあと1年くらいかと思うと現実、容赦ないわ。残酷さに怒る気力も奪われる徹底ぶりですよ。
まぁホント感謝です。できるだけ頑張って邪魔します!!でわまた。
心を亡くて忙しい!?それラクでしょ。あるから辛いんじゃんか!!
2019年の後半はとても大変でした。
おかげさまで2人目のお子も無事に生まれ、奥さんも無事です。睡眠不足なうえに2人の子どもを相手にして、体調を崩しても授乳中なので薬が飲めないので元気にしてるとは言えませんが、なんとか普通に過ごせています。
出産の2週間前には新居への引っ越しもありました。本当はもっと早く引っ越す予定だったんですがトラブル発生で遅れてしまいました。
でももういいんです。
ずっと今年が早く終わって欲しいと願っておりました。辛かったんです。どちらもありがたい事なのは重々承知してるんですけど、あまりにも考えないといけないことが多すぎて。
気づいたら2020年になってて諸々の全部が終わってたらいいのにと思ってました。
ほんと令和とか新年とかどうでもよかったですもん。なんの区切りにもなってないし。
で無事に全てが終わって、、、、、ないのですよ。家もまだ1割くらい完成してないし、保育園も3月で退園しないといけないし。落ち着かない!
もうピークは越えたから平気ですけどね、奥さんと2人で濃いお茶を飲みながら「終わったねー」って言えるのはいつになるのやら。